業務改善 フロアコーティング

このSSは、Stand At CrossRoadの賽子 青さんより相互リンク記念として頂いたモノに、
拙い挿絵を追加したSSです。

  文:    賽子 青
イラスト:  May

 

 

 

 

 

 

 


 西暦2004年、春
 北アイルランド、地方都市ベイドリック

 かつてプロテスタントとカトリックのバケモノ抹殺機関、ヘルシングとイスカリオテのジョーカー同士が衝突した街に、再びヴァンパイアが出現した。
 無論、その者はかつてのミレニアムによって生み出された存在ではなく、もっと別の、とある吸血鬼の集団から零れた存在だった。

 そして、吸血鬼が出現したのなら、ソレの天敵もまたこの街に入るのが道理である。
 なぜなら其の者達は、その様にして異教徒を、異端を殲滅し弾圧し、勢力を拡大してきたのだから。
 其の者達の、キリスト教の歴史とは、そのまま戦いの歴史であるのだ。

 

 

 

     HELLSING異伝
    〜 銀弾と飛剣 〜

 

 

 

「相手は吸血鬼。
 狙って撃って一発で終わり」

 雷鳴のような銃声が、広い前庭を持つ屋敷に木霊する。
 ヘルシング機関よりこの地に派遣された人数は計二十名と、屍がひとつ。しかし実質的には、この地に入った 戦 力 は、このたったひとつだ。
 派遣された二十名の人間は庭の各所に散らばり、銀の弾丸をもって内部から逃走するグールを狩るのみ。
 屋敷内へは、この地に派遣された生ける屍(ヴァンパイア)、セラス・ヴィクトリアが、ただひとりで突入し、百体を超えるグールを着々と殲滅していく。
 彼女が脇に抱えるのは、巨大な銃器。ヘルシング機関が彼女のために開発した対バケモノ専用のアサルトライフル。人間が扱えば一射で肩を砕かれるような銃を彼女は軽々と振り回し、眼前のグールを鏖していく。

『嬢ちゃん、右だ』

「はい!」

 さらに横合いから飛び出してきたグールに襲い掛かるのは、ベルギーのFN社が開発した新式サブマシンガン。
 P90-Custom『アトレイデ』
 全体的に小ぶりで取り回しやすいそれを彼女は拳銃のように左手で振り回しながら、正面以外のグールを殲滅していく。
 アトレイデの改造元となったP90という銃の特徴は使用する弾丸にある。
 この銃は通常のサブマシンガンがもちいる弾頭の丸い拳銃弾ではなく、ライフルのように鋭い弾頭を持つ5.7×28mmの専用弾を使用する。
 その為に強烈な貫通力を誇り、さらにこの弾丸はライフル用のものに比べて軽い為、軟体に衝突すれば対象内で乱回転を起こし、周囲の組織を破壊した後に対象内に残りやすいという性質を持っていた。
 つまりこの弾丸を受けた吸血鬼は組織を破壊されるだけでなく、体内に残留した銀の弾丸によってその再生を阻害されるという二重苦を味わうことになる。
 それを対吸血鬼専用銃とするためにボディの剛性と火力、連射性能の向上はもちろんの事、さらに弾装を改良して大幅な装填数の増加を図ったのが『アトレイデ』であり、彼女の新しい武装だった。
 それとさらに、彼女の懐にはさらに大振りなハンドガンも眠っている。
 その三つが、今回の任務に当たって彼女が用意した銃器。それらに込められる弾丸は、ランチェスター大聖堂の銀十字より鋳造した銀の弾丸。

「この階も終わり。あとは……」

 そして3Fより階下に隠れ潜む全ての吸血鬼を殲滅し、セラスは一息つく。残るは、最上階の部屋の角でガタガタ震えているであろう本体のみ。
 ライフルの弾装を交換し、血液で赤黒く変色した軍服のそれぞれのポケットに装備した各種武装を順に確認していく。無論、その武装の中には、身に纏う軍服よりもさらに赤黒い左腕も含まれる。
 この腕こそ、吸血鬼セラス・ヴィクトリアしか持たぬ彼女が最も“信頼”する武器である。
 今回の任務は室内戦闘であるためにハルコンネンは持ち込んでいないため、この腕による渾身の一撃が最も強力な攻撃という事になる。

「―――――」

 硝煙と濃密な血液の臭いと、静寂に満たされた廊下。窓から差し込む、四角く切り取られた月光。
 それに刺激されたのか、ふとセラスは四年前の出来事を思い出した。
 あの時も彼女は、出現した吸血鬼を狩るために主人である吸血鬼アーカードとともにこの街を訪れていた。
 そして其処で、未だに彼女の中に恐怖の記憶として残るヴァチカンの対バケモノ専門の戦闘屋、アレクサンド・アンデルセン神父と遭遇した。

 『聖堂騎士』アンデルセン
 『殺し屋』アンデルセン
 『バヨネット』アンデルセン
 『首切り判事』アンデルセン
 『エンジェルダスト』アンデルセン……

 様々な異名を持ち、人間でありながら彼女の主と壮絶な死闘を繰り返した彼は、成体の吸血鬼となり戦力において上回った今でも、アーカードと同じく彼女にとって畏怖の対象だった。

「まさか、化けて出てきたりしませんよね」

 そうだ。彼は確かにあの日―――西暦2000年冬にナチスの残党吸血鬼部隊によって引き起こされた世界最悪のテロ事件、通称『飛行船事件』の際に、アーカードに敗れてその命を散らした筈なのである。
 だがそれでも、『再生者』と言われるほどの彼ならばあるいは、と考えてしまうのだ。だからこそ、アンデルセン神父なのだとセラスは考えていた。

「マスター……」

 そしてその『飛行船事件』において、アーカードもまた生死不明となっている。
 “繋がっている”セラスはいまだ彼の気配を感じてはいるが、時々言いようの無い不安が浮かび気持ちが沈んでしまう。
 特にこのように、嬉々と戦場を踊っていたアーカードを思い出させる状況になると特に、であった。

『オイ、呆けてんじゃねえぜ、お嬢ちゃん』

 不意に、セラスの中に声が響いた。それは彼女の中に“在る”もうひとつの命の声だった。
 かつてHELLSING機関に雇われていた傭兵団の団長の声。
 セラスに血を吸われた彼の魂は、肉体が朽ちて尚、彼女の影の中に在り彼女を支えている。

「すいません、ベルナドットさん」

 そうだ、状況は未だ終わってなどいないのだ。
 いくら周囲を完全に包囲しているとはいえ、自由意志をもつヴァンパイアが本気で抜こうと思えば押し留められる戦力ではない。
 もし吸血鬼を街に逃がせば、何も知らない人々がその身を血に染める事になる。それは、絶対にあってはならないことだ。
 内からの叱責に苦笑いを浮かべ、セラスはライフルを肩に抱えなおした。

「行きましょう」

『ちょっと待ちな、そうじゃねえんだ。
 おかしいと思わねえか、お嬢ちゃん。まだ親玉が居る筈なのに、あまりにも静かすぎる』

「そういえば……」

 確かに、静か過ぎた。
 自身を護る下僕を殲滅された以上、何らかの動きがあって然るべきであるのに、上階からは何の動きも伝わって来ない。
 まるで、三階の天井と四階の床の間で音と気配が遮断されているかのように――――

『避けろ!!』

 セラスの内なる声が叫んだ。それよりも一瞬早く、彼と同時に気付いたセラスも廊下の中央から横に飛ぶ。
 刹那遅れ、彼女が背中を向けていた廊下の突き当たりにある階段の影から鉄板をも貫くほどの勢いで八本の刃が飛来する。

「な、バイヨネット!?」

 吸血鬼のもつ驚異的な動体視力によって、それらが何であるかを捉えたセラスは驚愕した。
 祝福儀礼が施された銃剣。それは紛れもなく、あのアンデルセン神父が愛用した武器に他ならない。

「――――!?」

 さらにバヨネットが飛来したのと同じ場所から、刃を床や壁に突き刺した五本のグラディウスが螺旋を描くように廊下を切り裂きながら彼女に迫る。
 そんな光景に彼女は一瞬、アンデルセンが扉や窓に施した結界を幻視するセラス。だが事態は、それよりもより深刻だった。

「な、なに?」

 グラディウスが彼女を傷付けることなく通り過ぎた瞬間、強烈な倦怠感に襲われ四肢の先が痺れた。
 即座にそれが何らかの力による束縛だと看破した彼女は、軋む身体を反転させて高速移動するグラディウスの柄を銃撃。瞬く間に全て破壊する。

「ハッ、ハァ〜」

 初めての事態に戸惑いながら、セラスは振り返り、廊下の奥を見た。
 この月夜に、夜目など関係がない。

 

「我らは神の代理人、神罰の地上代行者。
 我らが使命は、我が神に逆らう愚者を、その肉の最後の一片までも絶滅すること――――」

 

 だがはたして、廊下の突き当たりで一切の気配を消し去って剣を放った人物は、あの大柄な神父ではなかった。
 そこに居たのは、濃紺のカソックを闇に溶かす一人のシスターだった。
 年の頃は、二十代前半だろう。
 首元を飾る白い襟と、整った貌。地中海の空のように青い髪と、突き刺すような意思を宿す空色の瞳が印象的な女だった。

 

「―――――それが、アンデルセン神父の戦場での口癖だったそうです。
 はじめまして、いい月夜ですね。
 当代のヘルシング機関ゴミ処理係、セラス・ヴィクトリアさん」

 

 眼を開き硬直するセラスに向かって、ゆっくりと女は進んでいく。
 頑丈な編み上げブーツが床を鳴らし、静寂を震わせる。
 否応なく緊張感が高まっていく。

「先程の銃剣は、神父の遺品。挨拶代わりです。
 かつて、アンデルセン神父は貴女がたヘルシング機関の吸血鬼、アーカードに敗れた。
 我々カトリックがプロテスタントに、まして異端である吸血鬼に敗れるなど、あってはならないのにです」

 やはりゆっくりと、女は右腕を上げる。
 そこに在ったのは四本の剣。
 十字架を模した、代行者のシンボルともいえる飛剣を、五指で挟み込むように保持していた。

「ですが、アーカードは既に亡い。
 故に彼の、いいえ、我らカトリックの受けた屈辱を、貴女を通じて晴らさせて頂きます。
 覚悟はいいですね、吸血鬼」

 

 /  /  /

 

 

「局長、ヴァチカンの情報間からの緊急報告です」

 ロンドン、ヘルシング本部の執務室にて、機関長であるインテグラいつもの様に執務に追われていた。
 優秀な執事であり秘書官でもあったウォルターを喪って以来、彼女は常に眼が回るほど忙しい。
 そこへ硬い樫の木のドアを叩き壊すような勢いで、機関員のひとりが駆け込んでくる。

「落ち着け、何があった」

 元々少々そそっかしい所のある若年の通信兵である。インテグラは息を切らす彼にまずは呼吸を整えるよう促し、報告を読み上げさせる。
 彼はぜいぜいと息をつきながら度の強い眼鏡を直すと、その顔にありありと緊張を浮かべ、早口で捲くし立てる。

「今回のベイドリックの事件に関して、またもヴァチカンが動いています!!」

「何!?」

 その報告に、思わずインテグラは立ち上がった。瞬時に、四年前のあの出来事が思い浮かんだためだ。
 奇しくも、状況と場所はあの時と一致している。

「まさか、また十三課の連中か。
 アンデルセンが死んだ今、奴らにまともな戦力など残っていないはずだぞ」

 事実、あの飛行船事件にて最も打撃を受けたのが十三課―――イスカリオテ機関だった。
 ヘルシング機関も雇用していた傭兵団とウォルター、そして看板でもあったアーカードを失ったが、代わりにセラスが覚醒した事よってその戦力は何とか保たれた。
 それに対し、彼らは派遣兵力の半分以上を失い、主戦力であるアンデルセン神父とシスター由美江を失っている。
 辛うじてハインケル・ウーフーこそ残ったものの、戦力の大幅な減衰は否めない。故に彼らがアンデルセンの報復を願ったとしても、吸血鬼として覚醒したセラスに適う筈がないのだ。

「いいえ、派遣されたのは十三課の人員ではなく――――」

 あまりの出来事が、その報告書に記されているのだろう。
 彼は緊張の余り言葉につまり、大きく息を吸うと意を決したように眼を爛と開いた。

「派遣されたのは聖堂教会、埋葬機関所属。同第七位『弓』シスターシエルです!!」

「―――ッ、馬鹿な!
 この報告は信頼できるルートからの情報か?」

「はい、恐らくは。
 同時に、埋葬機関長のナルバレックが番外位を護衛として、このイングランドに向かっているとのことです」

 通信兵の口から出たあまりの名前に、セラスはひったくる様に報告書を奪うと、眼を通して執務机の上に放り出した。
 彼女はその言葉を黙って聞くと、椅子に腰を下ろしてトレードマークとも言える細い葉巻の先をカットして火を灯す。

「埋葬機関。ヴァチカンの聖堂教会内でも異端視される、吸血鬼専門の異端審問機関。
 神への信仰など二の次で、ただ異端を抹殺する力さえあればよいという、馬鹿馬鹿しい理念を掲げるカトリックの殺し屋どもか」

 インテグラは朗々と言葉を紡ぎ、一度大きく紫煙を吐き出した。

「しかし、何故埋葬機関が動いたのでしょう。
 アイルランドは我々プロテスタントの勢力圏であると、前回も申し入れたはずでは?」

「確かにその通りだ。だが、そんなこと連中には関係ないのだろうよ。
 時には教会本体の意向に逆らって大司教を異端認定し、抹殺するほどの権限と行動力を持つ部隊だ。
 緩衝地帯付近での越境行為など、彼らにとっては然したる意味も持つまい」

 そこまで語り、インテグラはグシリと葉巻の炎を苛立ちと共に押し消した。

「確か、その埋葬機関の中にあってシスターシエルは強い異端への排斥意識を持つと聞く。そんな女が、セラスを見逃すはずがない。
 ならば、私も再びベイドリックに行こう。
 剣と銃、それと護衛を四名用意しろ。護衛は特に腕の立つものに、万全の装備をさせるのを忘れるな。
 最悪、その場でシスターシエルとの戦闘になる。前回と同じ轍を踏むようなことだけはするな!」

 

 

 / / /

 

 

 刹那が凝固している。
 セラスはひと目で、目の前のシスターが自分にとって危険な存在だと理解した。
 年齢は確かに若い。恐らく、人間だった頃の自分とそう変わらないだろう。
 だがその身から放たれる威圧感は、あのアンデルセン神父と同等かそれ以上とも思えた。

 埋葬機関第七位、『弓』のシエル

 七年ほど前に埋葬機関に参入し、以後、死神と呼ばれるほどの数の吸血鬼を滅却してきた女である。
 一節にはあの真祖と戦闘し、生き残ったとも言われる彼女は、こうして正面から退治した相手の中では間違いなく最強の“人間”だった。

「……確認します。
 この地は我々プロテスタントの管轄であり、貴女がたカトリックが干渉することは赦されない筈ですが?」

 言葉と共に、セラスのもつ大口径のアサルトライフルの銃口がシエルの方を向く。
 闇を塗りこめたような混沌の瞳が、強い意思を持って彼女を睨みつける。

「戯言を。神の御名において、その神罰を代行する権限を与えられているのは、この地上において我ら聖堂教会のみ。
 自国領内ならばともかく、他国に侵攻してまでその様な無知を晒すとは―――」

 シエルの両腕が明確な敵意を示す。
 突き出された右腕が、彼女の頭部に巻きつきように引き絞られる。

「新教が、まして吸血鬼が、声高に神の意を語るものではありません。
 恥を知りなさい、セラス・ヴィクトリア!!」

 ゴウ、と空気が唸った。まず右腕の四本、僅かな間隔をあけてさらに四本。
 裂帛の気合とともに撃ち放たれた聖なる八矢が、セラスを狙い宙を駆ける。

「舐めるな!!」

 それに即応し、セラスもセミオートに設定したアサルトライフルの引き金を引く。
 通常であるならば連射による弾幕によって飛翔物体を落ち落とすことを狙うやり方だが、これを吸血鬼であるセラスが行えばワケが違ってくる。
 彼女の反射係数はライフルの連射速度を馮河しており、動体視力は撃ち出される銃弾を捉えるまでに至っている。
 己の意思に1ミリの狂いもなく動く両腕で支えられた銃口は、易々とその線上に六本の飛剣を捉える。
 迫り来る各目標にそれぞれ二発ずつを割り当てると、残りをシエルの両手両脚、そして胴体と頭部に満遍なく向けた。

「―――――ッ!?」

 しかしシエルとその手から放たれた矢は、悉くセラスの読みの上を行った。
 彼女はただの一発の被弾もなくその場から掻き消え、飛翔する剣はただの一本も撃ち落されないばかりか、その勢いすら全く衰えない。
 前方に飛び込むようにしてそれらを緊急回避したセラスの耳に届いたのは、およそ投擲武器の着弾音とは思えない炸裂音だった。

「ウソ……」

 シエルの姿を探して視線をめぐらせた時、ふとシエルが投擲した剣の着弾点が視界に入り、一瞬、思考が止まった。
 投擲された剣は『黒鍵』と呼ばれる聖堂教会に所属する代行者にとってシンボルとも言える投擲剣。
 かつてアンデルセン神父は、軽いバイヨネットの衝撃波だけで窓ガラスを粉々に砕いていたことからも、その投擲が尋常ではない事が見て取れた。
 だが、今回のコレはそれに比べても異常だった。
 黒鍵の刃はその刀身の半ばまでが壁に埋まり、その衝撃によって壁が歪んだことで窓ガラスが弾け飛んでいる。
 明らかに、威力の於いては彼のバイヨネットを超えていた。

「く、」

 セラスは背筋を流れる冷たい汗を振り払うように銃を握りなおす。
 以前、アンデルセン神父に受けた祝福儀礼済みのバヨネットの痛みがセラスの脳裏に蘇るが、今回のコレはまた別格。
 『 鉄甲作用 』
 鋼板すら易々と貫通するそれを受ければ、並の吸血鬼ならば付加された概念など関係なく、その部分を周囲の組織ごと抉り取る。
 数こそ神父に劣るが、威力においては他の追随を赦さない埋葬機関の秘伝投法なのだ。

『嬢ちゃん、上だ!』

 セラスの中に、ベルナドットの声が響いた。
 その彼女らが思考に費やした一瞬を、見逃せるほど甘い路をシエルは歩いてはいない。そもそも吸血鬼は比類なき暴力を誇る、生命の系譜から外れた存在である。
 故にそれを滅却することを生業とする彼女のような人間がそれに対抗するには、己の全身全霊をもって相手をしなければならない。
 その為には、奇襲すらも正道なのだ。

「ふっ」

 僅かな息遣いと共に、剣が空気を切り裂く。
 壁、開いたドアの上、床、窓枠、およそ考えうる全ての凹凸を足場として立体的に飛びまわるシエルから黒鍵が放たれた。
 彼女は身体をネジのように回転させながら、腰の捻転と腕の撓り――――およそ身体に内包する力の全てを駆使して、黒鍵に力を乗せる。
 虚実を織り交ぜ、苛烈なまでのストップ&ゴーを繰り返して移動力まで乗せた刃の暴風雨は、周囲をミンチにしながらセラスに吹きつける。

「ア、ア、ア、アァアァァ!!」

 だがその嵐を、セラスは躱した。
 僅かに早く届いた警告によって黒鍵の飛来する方向を察知したセラスは、その運動能力を遺憾なく発揮して降り注ぐ黒鍵の間をすり抜けるようにシエルに迫る。
 同時に、腕に抱えるアサルトライフルで弾幕を張るのも忘れない。
 たとえ鉄甲作用で放たれる黒鍵を弾けずとも、彼女のもつ大口径のライフル弾は人間には十分すぎる脅威である。一発でも被弾すれば即致命傷。
 天井すれすれに居たシエルはそれを肥大化させた黒鍵で受け止める。
 シエルは展開された黒鍵が砕かれ、聖書のページに還る瞬間を狙って壁を蹴ると、聖書製チャフのど真ん中を突き破ってセラスに迫った。

「―――――セブンズヘヴン」
「甘い!!」

 一瞬の交錯。
 両手に三本ずつの黒鍵を爪の様に挟んだシエルと、血の左腕を刃上に変化させたセラスの殺意が衝突する。
 リーチの関係でセラスの黒刃の方が先に動き、シエルのカソックの一部に到達するが、シエルは判断で右手の黒鍵がこれを薙ぎ払う。
 勢いをそのままに回転したシエルがバックハンドブローのように左の三刃をセラスの眉間に落とすも、既にそこには黒い盾が展開していた。
 ガキリ、と嫌な音を立てて瘡蓋のように固まった血液が砕ける。

「セッ!」

 そして続く三撃目。
 巻き込むように大外から迫る黒鍵のフルスイングに、セラスの対応が遅れた。
 原因は攻撃の相性。
 一手目で切り裂かれた黒い影が、黒鍵に付加されている概念によって崩された事が決定的だった。
 ただでさえ大振りなロングレンジの薙ぎ払いだった為に戻りが間に合わない。
 半ば悪足掻きのように突き出されたライフルの銃身をすり抜けるように、三本の斬撃はセラスの左の鎖骨の辺りから一気に右脇腹までを引き裂き、黒鍵に宿る概念が更なるダメージを彼女に刻み込む。

「くぁっ……」

 皮膚が焼かれるような強烈な熱さ。
 黒鍵とは本来、キリスト教徒だった死徒の体に無理やり人間の頃の自然法則を叩き込み、もとの肉体に洗礼しなおして塵に還すという概念武装である。
 ならば生前もキリスト教徒であり、今もキリスト教・プロテスタントの異端殲滅機関に所属するセラス以上にとって、黒鍵はまさに天敵といって良い武器だった。

「あ、あ、あ……」

 セラスの傷口が崩れる。
 ただでさえ間隔の狭い三筋の傷口は自然治癒力が働きにくく、また黒鍵の概念という最上級の毒を叩き込まれた彼女の傷は復元呪詛すらも働かない。
 だが彼女は裂かれた制服の間から露になる肌を真っ赤に染め、身体を劈くような激痛を全身で感じながらも決して膝を付かない。


 死ねない
 まだアタシは、マスターと再開していない
 子は、親より先に死んではならない


「あ、あ! あぁぁーー!!」

 即座に、軋む身体を反転させる。
 その衝撃で傷口が広がり、再度激痛が彼女を襲うが、止まらない。
 視界の端でバックステップするシエルの姿を捉えた瞬間、死神の鎌のように変形した腕で弧を描く。
 それは彼女の首に届かず、既に左手に装填されていた黒鍵で壁に縫いとめられた。

『今だ!!』

 だが、それでいい。
 縫い止められた腕は、彼女の力で形作られた影。
 確たる形を持たぬそれを個体の黒鍵で止められる筈もなく、概念によって僅かに崩れた部分を壁に残し、彼女は跳ねるようにシエルへと迫る。
 同時に腕の動きをベルナドットに任せたセラスは、右手の銃をアサルトライフルではなく、腰に下げて保持していたアトレイデと交換した。彼女の使う鉄甲作用は全身運動によるものと見切り、その際の大きなモーションをさせない為にフルオートで広範囲に弾幕を張ったのだ。
 パラベラム弾に比べ遥かに速い弾速を叩き出す5.7×28mm弾による掃射は、流石のシエルでも避けきれないのかすぐ脇にあった部屋へと逃れた。

『任せます!』

『オウ!』

 それこそが、彼女の狙い。
 ベルナドットの意識と共に壁から天井へと滑るように移動した赤い影が、そのままシエルが飛び込んだ部屋の天井へと静かに進む。
 同時にそれと気付かれないように、再びアサルトライフルに持ち替えたセラスが部屋の入り口付近を砕いて意識を逸らす。
 赤い影が、月明かりの届かない天井一杯に広がった瞬間―――――

「くぁっ……」

 シエルの悲鳴とともに、天井から伸びた無数の針が床をザルに変えた。
 彼お得意の奇策による面制圧。
 人間の絶対の死角である真上からのアイアンメイデンが、シエルの左腕を貫いた。

『殺った!?』

『まだだ。
 クソッタレ、ホントに人間かよ』

 ベルナドットが叫ぶのも無理は無かった。
 完全に不意を付いたにも関わらす、シエルは針が落ちてくるよりも早く黒鍵で頭部と胴体を庇ったのだ。その為に、針で貫けたのはそれを成すために曝された左腕だけ。同時にカソックばボロボロになり、全身の至る所を浅く裂かれた、彼女にとっては物の数ではあるまい。

『けど動きは止めてやったぜ、いけ!』

「了解!」

 ベルナドットの声で室内の状況を判断したセラスは、止めをさす為にアサルトライフルを構えて部屋の入り口に駆け寄る。
 そしてシエルを照準した直後、その背中に言いようのない怖気を感じた。

「ベルナドットさん、下がって!!」

 だがもう遅い。
 声よりも早く、シエルの無事な右腕から天井に向けて黒鍵が投げられた。
 腕だけで投げられたそれに先程までの面影はないが、それでも鋭い刃を持つ黒鍵はそこに在る赤黒い影(ベルナドット)に突き刺さる。

 

「―――――主よ、この不浄を清めたまえ」

 

 シエルの口から紡がれる祝詞。
 瞬間、炎が渦を巻いた。

『ぐああぁぁぁーーー!?』

「いっ、ぎっ!!」

 ただの炎ではない。
 瞬時に天井一杯に広がり、セラスの影を焼いたのは浄化の焔。異端を強制的に焚刑に処す、火葬式典の炎である。
 この術式は厳密には魔術に属し、その為扱う代行者は少ない。だがかつて稀代の魔術師であった『蛇』の苗床だったという過去を持つシエルの技量は、時計台のAランク魔術師にも匹敵する。

「ふっ!」

 それ程の痛打を、攻め手からすれば正に会心の一撃といえるようなダメージを相手に与えても、シエルの攻めが緩む事は無い。
 彼女は、彼我の肉体的性能差をよく弁えていた。
 吸血鬼相手に、情けなど無用。余裕など致命傷。圧倒的なまでの筋力、魔力、反射神経を有する存在を相手に、どうしてただの人間である自分が手を抜けようか。
 彼女は炎によって崩れ落ちる影の真下を走り、呻くセラスへと突貫する。

「〜〜〜ッ!!」

 歩数は三歩。つま先のみを床に接させ、滑るように床を奔る。
 武道でいうところの摺り足による踏み込みの利点は、通常の走行のように脚が床から離れることが少ないために、突然の方向転換が可能な点にある。
 はたしてシエルはその三歩目で直線から斜め三十度に進行方向を曲げた。そこにあるのはセラスのもつアサルトライフル。
 転進の寸前に手から離し、セラスの眉間を狙う。
 鉄甲黒鍵を施さなかった黒鍵はこの至近距離でも容易く躱されたが、その黒鍵に意識が向いた瞬間、シエルはアサルトライフルを掴むと銃身を先を床に叩きつけ、ブーツの先で踏みつけた。

「ぎっ……」

 セラスは己の失態に奥歯を噛み締めた。
 左腕から全身に広かった猛烈な痛みは現在も自分の“中”で燻っている。
 あれ以来ベルナドットからの返事は無いが、ほぼ意識体と化している彼がそう簡単に死ぬとは思えない。
 だが一方で、彼の卓越した危機察知能力に頼りすぎていたのではないかとセラスは己を責めた。

 だからこそ、彼の意識が途絶えた混乱を付かれたのだと。
 だからこそ、このような危機的状況に落ちいったのだと。

「まさか、貴女もわたしと同じFN社の銃を使っているとは思いませんでした」

 銀色の銃口が鼻先に在った。
 赤い針によって貫かれ、鉄甲作用を奪い無力化したと思われた左腕にその拳銃は握られていた。
 ベルギー、FN社製『Five-seveN』
 セラスのもつP90と同じく5.7×28mm弾を使用するその銃は、FN社から剛性の強化など特別な改良が施された上でヴァチカンの代行者たちに卸されたものだ。
 FN社のあるベルギーの国民の約25%はプロテスタントだが、同時にカトリックも70%以上存在する。そんな事情から双方の異端殲滅機関に、FN社は銃を卸していたのだった。

「チェックです、異端」

「まだ、ですよ。くらえ!!」

 セラスの口内で、激痛を噛み堪える奥歯の砕ける音が響いた。
 未だ火葬式典の炎に包まれる影を彼女は一気に引き寄せると、シエルを背後から襲う。
 猛獣の口のように開いた炎の顎にシエルは回避を余儀なくされ、その顎がアサルトライフルを噛み砕く瞬間、セラスもまたP90を背中から抜く。
 させじとシエルが放った銃弾を裂帛の気合をもって受け止め、身体を貫く銀弾の痛みを堪えながらセラスは引き金を引いた。

「アアアアァァァァーーー!!!」

 同形の銀の弾丸が飛び交う廊下を、紅と蒼の影が縦横無尽に動き回る。

「ゼロ、ドゥロア、セット、キャトル……」

 銃の性能差によって放たれる銃弾の数はセラスのほうが圧倒的に多い。
 だが代わりに、銃弾よりもはるかに危険な鉄甲作用による黒鍵によって戦況は拮抗――――いや、僅かにセラスが押している。

 セラスは黒鍵を躱し、銀弾を躱されがなら冷静に戦況を分析していた。
 見た限りシエルはアンデルセン神父同様、バケモノじみてはいるが人間である。
 しかし攻撃力においてかの神父を上回る分、彼のような再生者ではないようだ。あれ以来左腕で黒鍵を使わず、血の滴る腕でFive-seveNを扱い続けている事がその証拠である。
 ならば、吸血鬼としての回復力がモノを言う。左腕の回復具合を確かめたセラスは、シエルが二度目の弾装交換を行う瞬間を狙って前に出る。

「ハッ」

 銀の弾丸による弾幕と同時に、左腕を壁に擦り付けた。
 瞬時に影が壁を走り、床、天井、反対側の壁へと移動しながら、シエルを包囲しようと蠢く。
 対バケモノ戦闘に関するベルナドットの教えは、“点”ではなく“面”で殺ること。しかし、目の前のシエルという名のバケモノを越えた人間には、面の攻撃すら防がれた。
 ならば、さらに一歩進めばいい。

「で、え、りゃあぁぁーー!!」

「―――――っ!」

 未だ痛む影の腕での、五方向同時攻撃。天井、壁、床、そして自身から同時に紅い刃を伸ばす。
 唯一の抜け道である後方に躱されても、別に構わない。ここが室内である以上、いつか退路は尽きる。壁を背にした瞬間、最後の一面である背後を加えた六方向同時攻撃に移行するだけだ。
 はたしてシエルはその空間包囲攻撃を――――

「はっ!
 工夫が、足りません!!」

 受けきった。
 使えないと思っていた左腕にも確りと黒鍵を挟み、両手六本の黒鍵とチタンプレート入りの強化ブーツによるロンドを踊る。
 黒鍵が僅かに早く到達する刃を微塵に切り裂き、ブーツの先が爪を打ち砕く。彼女は流れるような動きで迫り来る脅威の悉くを砕き、己の空間を形成していく。

 カン違いを正そう。
 死徒―――吸血鬼とはあらゆる意味での『バケモノ』である。
 通常ではありえない包囲攻撃、通常ではありえない同時攻撃などに即応出来なければ、死徒の頂点たる二十七祖を最終的な目標とする埋葬機関など勤まらない。
 死徒二十七祖第七位、腑海林アインナッシュとの戦闘を生き延びた彼女にとって、全方位攻撃など脅威ではなく、むしろ当たり前の攻撃だった。
 人外のもつ二つの武器のうち、魔術を使わないセラスは彼女にとって組し易い相手でしかないのだ。

「腕は回復しました。
 蜂の巣に、成りなさい!!」

 シエルは、勝負を決めのかかる。
 彼女の持つ異能。圧倒的な肉体キャパシティによる回復と、魔術的回復の並走によって、激しい運動の途上にありながらも、紅い針に貫かれた腕は十全に回復した。
 鉄甲作用による投射も、これまでのように相手の出方をみる投げ方ではない。
 相手を串刺しにし抹消せんとする、黒鍵の一斉掃射。
 さながら散弾のように広がる、黒鍵の弾幕。
 その只中を貫くように、カソックを脱ぎ捨ててタンクトップの青いワンピース姿なったシエルが駆ける。

「   ッッ!!」

 セラスは黒鍵による弾幕の中に、獣道のようにくねる“路”が存在するのを見抜いた。
 その路を性格にトレースすれば、全弾の回避が可能な包囲の穴。瞬間的な判断を迫られた彼女は本能的にそこへ身体を滑る込ませる。
 それがシエルが張る、『本命』を当てるための罠だった。

 

「セブン、コード――――」

 

 その腕に抱くのは、巨大な銃器。
 小柄な子供ひとり分はありそうなそれは銀のボディと青の装飾に彩られ、銃身のように伸びる部分在るのは、銀色の聖杭。
 セラスはその銃器を見たことが無かったが、名前だけは知っていた。
 埋葬機関第七位の切り札。
 転生批判の外典、『第七聖典』を脇に構えたシエルが、セラスに迫る。

 

「―――――スクエア!!」

 

 全てを轢き砕く破城槌の如き一撃に、セラスの警戒警報がけたたましく鳴り響く。
 周囲は黒鍵の檻。ここにきて自分が、どうにも出来ぬ本能を絡め取られた事を知った。
 感覚が鋭すぎる故に、自分はこの隘路に足を踏み入れたのだ。

「……く、あっ!!」

 ならば、その罰は身で受ける。

「―――――っ!?」

 両者の震脚が床を打ち鳴らし、同時に突き出される両者の切り札。
 床板が爆ぜる音が木霊する廊下に立っていたのは、両者だった。

「あたしを!」

 活路は前にこそ在る。
 あの一瞬、一際多くの黒鍵が配されたシエル周囲に、セラスはその身を曝した。
 辛うじて形成の間に合った左腕で第七聖典を払い除けて右足を踏み込み、シエルの真正面に半身の身体を置く。
 その拍子に黒鍵の弾幕に触れた左腕を再びボロボロにされながら、セラスは“切り札”を、シエルの眉間を照準する。

「ヘルシングを!」

 彼女が己の命を賭けるに値すると判断したのは、懐に常に忍ばせていた銀色の大型拳銃。
 454カスール カスタムオートマチック。
 込められる弾は、ランチェスター大聖堂の銀十字を鋳溶かして造られた13mm爆裂鉄鋼弾。
 かつてアーカードが使い、バケモノどもを駆逐し続けた銃。あの日、自身の右肺を貫いたモノ。あの日、主が残した唯一のモノ。

「舐めるなッ!!」

 銃が所詮消耗品である以上、ウォルターが懇意にしていたガンスミスを尋ねれば、より威力の高い『ジャッカル』を再生させることは可能だった。だがセラスは、それを良しとはしなかった。彼女はこの銃だからこそ、己の命運を賭けられると思ったのだ。
 同じ形の再生品に意味は無い。
 高性能なだけの銃に興味は無い。
 この銃だから、自分が慕ったマスターが愛用した銃だから、彼女はこの銃こそ己の切り札であると胸を張る。
 その重い引き金を、引いた

「くぁぁああ!!」

 刹那早く廊下に響いたのは、初めて明確な焦りを含んだシエルの声。
 吸血鬼の意思伝達速度は、人体の現界速度である0.1秒を易々と越える。故に勝負は彼女の握る超大型拳銃の駆動速度と、射撃時の彼女の緊張。
 昭和を生きたある高名な武術家は、眉間に突きつけられた拳銃を、引き金が引かれる前に払い除けたという。
 後は、己が文字通り血反吐を吐きながら身に着けた武技を信じるのみだった。
 はたしてそれは、間に合った。
 鉄甲作用の根幹を成し、あらゆる武術の基本となる両脚の先から始まる力の連動。
 第七聖典のトリガーから離れたシエルの左腕は流れるように宙を滑り、渾身の力をセラスの手首に叩き込んだ。

「くっ……」

「はっ!」

 そのままシエルは、飛び退きたくなる本能を押さえ込んで前方へと飛んだ。
 第七聖典を手放して前廻り受身をするように床を転がるという行為は、バックステップよりも遥かに早く、長い距離を稼げる。
 そう、活路は前にこそ在―――――

「くあっ!?」

『ヘッ、だから俺らヘルシングをあんま舐めんなっての。殺れ、セラス』

 右腕に奔った痛みとともに、眼前から敵を見失ったセラスの中に、ベルナドットの声が響く。
 寸での所で意識を取り戻した彼は、セラスの左横、つまり宿る紅黒の腕の真横を抜けようとするシエル目掛けて、精一杯の数の刃を伸ばした。
 その中の数本がシエルの左腕を削り、脇腹を抉り、両脚の数ヶ所を切り裂いたのだ。
 突然の痛みに筋肉が誤作動し、バランスを失って顔を床に擦り付けた。さらにそのままの勢いで壁に衝突する。
 だがそれでも、彼女の眼から戦意は失われない。

「聖なるかな。
 我が代行は、神の御心なり―――――」

「…………」

 全身を血に染めながら、右腕を壁について立ち上がろうとするシエルを照準する。
 アーカードがそうしたように、セラスもまた首の高さに固定したボロボロの左腕を台座として、カスールの銃口をシエルに向けた。
 彼女の眼には、シエルの行使する何らかの魔術によって通常の数十倍の速度で傷が治癒しているのを感じる。それを、赦してはならない。

「――――Amen」

「さようなら」

 一発で仕留められるとはセラスも思っていない。
 超大型拳銃を身体で支え、案の定腕の力だけで壁際から飛びのいたシエルを追って身体をスライドする。
 だがその時、黄金の光を放つ聖書のページを視界の様々な場所で捕らえ、同時に視界からシエルが消えた。

「  ぁ……」

 否、そうではない。
 シエルが彼女の視界から消えたのではなく、彼女がシエルの姿を追いきれなかったのだ。
 まるで透明な石膏で全身を固められたかのように。
 彼女は瞼ひとつ動かすのも苦痛なほど、完璧なまでに彼女の身体は固定された。
 声すらも自由にならない恐怖が、セラスを包み込む。
 ぐりぐりと眼球に力をいれ、ようやく廊下の窓側に眼をやると、そこに在ったのは第七聖典を拾い、下段に構えるシエルの姿があった。

「七の七倍の黒鍵による、七層複合拘束術式。
 もともとは我ら埋葬機関が、変異を繰り返す吸血鬼アーカードを括る為に開発した術式です。
 グラディウスを使った簡易結界にすら動きを阻害される貴女に、抜ける術はありません」

 立ち上がり、巌とした表情でシエルはセラスに敗北を告げた。
 この七層複合結界は、アーカードに着想を得ている。
 長年、不倶戴天の宿敵であるプロテスタントの吸血鬼を観察してきた彼らは、その特異な再生力と変異能力を、何らかの固有結界であると見ていた。それを強力な拘束術式で括ることで、あのような人型を保っていると推測した。
 ならばその理論をそのまま実施し、外側から強力な拘束術式で縛ることで、アーカードの最大の脅威を封殺できるのではないかと結論付けたのだ。

「   ぅ……」

 しかしアーカードを初めとする吸血鬼は動きが早く、気配に敏感である。このように、多数の手順と条件を必要とする術に、易々とかかるとは思えない。
 そこで彼らが思いついたのが、黒鍵の刃などに用いられる、聖書のページの刃身化だった。

 黒鍵の刀身は通常であるならば当然金属製だが、一部の代行者は身に宿す魔力を頼りに、より取り回しがしやすいように聖書のページを選ぶ。
 普段は柄のみをカソックの下に携行し、使用時に聖書のページ数十枚を魔力で固めて刃とする方法である。このやり方だからこそ、黒鍵を雨のように降らすという芸当が可能なのである。
 その聖書のページに予め術式を付加したものを用いて、それを副詞によって一斉に刀身化を解除し結界化することで、相手の不意を突いて複合結界を形成することに成功したのだ。

 今のところ、起動と維持に必要な魔力が膨大すぎるためにまともに使えるのはほんの数名だが、より洗練することでその問題も解決するだろう。

「    ぐ……」

 セラスは必死に拘束を解こうともがくが、彼女の身体はギシギシと軋むばかりで、一向に動こうとしない。
 まるで、全身の細胞が神経の命令を拒否しているようである。
 だが、それでも。
 それでも!

「ぐ、あ、あ、あぁぁぁーーーー!!」

 喉の奥から、苦痛と気迫を搾り出す。
 己の細胞を己で剥がしながら、己の筋肉を己で引き裂きながら、セラスは左腕を動かす。
 断線した血管から血が噴出し、赤黒い制服を鮮やかな赤へと変える。
 決死の紅黒が、魔剣と成って突進してくるシエルを薙ぎ払う。

「フッ!」

 だが、それもシエルの読みの範疇。幾多の視線を、人間のままに踏み越えた彼女の老獪さだった。
 セラスの腕がもう変進不可能になるタイミングを見極めての、沈み込み。
 飛び込みながら、平行四辺形を潰す動きで前に出した右膝を折り畳む。
 腰を落とし、踏み切った左足の膝のサポーターを床に擦りながら、セラスの懐に潜り込んだ。


「決着です。
 セラス・ヴィクトリア!」


 窮鼠、猫を噛む? 今更である。
 二人の勝敗を分けたのは、経験と相性、準備と覚悟。身体的キャパシティ以外の全てで、シエルはセラスの上をいった。
 埋葬機関員として二十七祖やそれに準ずる吸血鬼と戦い続けたシエルに、今のセラスでは到底及ばなかったのだ。


「セブン、カルヴァリア・デスピアー!!」


 第七聖典・埋葬
 敵吸血鬼の心臓を下段から貫き、白い魔力砲によって上方へと打ち上げる必殺の一撃。
 そのトリガーが、床を砕く最後の踏み込みとともに、引かれた。

「   ッッ!!」

 ゴゥ、と巻く壁のように濃密な魔力の風がセラスの身体を撫で回す。
 駆け巡る、三度目の走馬灯。
 吸血鬼としての死を、確かに感じた。灰となって散る自身の身体を幻視した。
 だが、


「――――はい、リベンジ完了。
 じゃあこのまま次の任務に移りましょうか」


 死に満たされたセラスの脳に届いたのは、そんな軽い調子の声だった。

「へ?」

 恐る恐る意識を現実に戻すと、そこには空のような笑顔を浮べたシエルの顔がある。
 心臓を完璧なまでに狙った聖典の杭は制服に僅かに触れた位置で静止し、確かに引かれたトリガーは、その間に割り込んだシエルの薬指と小指によって止められていた。
 間違いなく、そんな奇妙な持ち方をシエルはしていなかった。
 そもそもトリガーを引くまでもなく、パイルバンカーから突き出た杭をセラスの心臓に突き込めばそれで済んだ筈なのだ。
 わざわざそうしないなんて、まるで訳が解らない。

「セラス!!」

「イ、インテグラ様!?」

 そんな混乱する彼女を引き戻したのは、ようやくこちらに到着したインテグラの焦りを含んだ声だった。
 有能な執事だったウォルターを失った彼女は、四年前のような迅速な対応をとれずに少し遅れての到着だった。

「ちょうどよかった、ヘルシング卿。
 これからセラスさんと共にお会いしに行こうと思っていた所ででしたので」

 インテグラのハンドガンを含む、五つの銃口がシエルを狙っていた。
 それに対して彼女は抵抗行動を取ることもなく、第七聖典を床に転がすと両手を開いて上に挙げている。

「白々しい。どういうつもりだシスターシエル。
 此処は我らの管轄だと再三に渡って通告した筈だ。例え埋葬機関といえど――――」

「その条理を踏み越えるのが埋葬機関です。
 苦情ならわたしではなくわたしの上司にどうぞ。ええ、是非にでも。遠慮なく!」

 徐々に語気を強めながら、両手を挙げたままそう力説するシエルに、インテグラは少しどころではなく困惑する。
 それではまるで、苦情を言って欲しいような言い方ではないか。

「ま、まぁいい。その事についてはきちんと抗議する事にするとして。
 なぜ貴様はわざわざ境界を侵犯してまで、ベイドリックを訪れた。返答次第ではタダでは済まさんぞ」

「ええ。その事について、わたしの上司であるナルバレックから親書を預かっています。
 腰のポケットに在るのですが、取ってもいいでしょうか?」

「駄目だ。セラス、受け取って持って来い」

 混乱した頭で、セラスは恐る恐るシエルのカソックのポケットから封書を取り出すと、インテグラに渡す。
 それを読んだ彼女は、見る見るうちにその表情を変えた。

「馬鹿な……」

「いえ、そこに在る通りです。今回、わたしに与えられた聖務はふたつ。
 ひとつはヘルシングのセラス・ヴィクトリアと交戦し、雪辱を果たすこと。
 もうひとつは、交戦後は飛行船事件の際の引責と戦力保障として英国王立国教騎士団、
 通称ヘルシング機関のインテグラ機関長の指揮下に入ること、です」

「建前などどうでもいい。真意は何だ、あの事件から四年も経って、今さら戦力保障など片腹痛いわ!」

 真っ直ぐに向けられた空色の視線を、インテグラは嘲る様に一蹴する。
 その周囲では、彼女を護るために特性の防弾チョッキとゴーグルを装備した兵士がマシンガンを構えている。

「ええ、もちろん建前です。
 ぶっちゃけてしまうと、アルズベリに関連してイングランド起こるかもしれない事象に即応して欲しい、ってトコですかね。
 すでにアメリカにも通達済みです。四年前の大統領と閣僚全滅がよほど堪えたのか、FBIもペンタゴンも二つ返事で快諾して下さいましたよ」

「アルズベリ? という事は、裏にいるのは白翼公とヴァン=フェムか。
 やれやれ、とんだ大物が出てきたものだ。なら、起こる事象というのは想像できるな」

 インテグラはそう吐き捨てると、葉巻に火を灯す。
 ふぅ、と息を吐き、紫煙によって半ば予想通りの、しかし聞きたくなかった事実をを咀嚼し消化していく。

「はい。アーカードという鬼札を失いヘルシングが弱体化した今、白翼公が動けば確実に時計台が動く。
 奴らはクロンの大隊も含めて、ほぼ無傷なのですから」

「偉大なるローレライ、か。ふん、ご苦労なことだ。
 なら貴様がこちらに居るのは、奴らへの牽制と見ていいのだな?」

 その言葉に、シエルはコクンと頷く。
 代行者として鍛えぬいた戦闘技能に加え、時計台の高位魔術師に匹敵する知識と魔力を持つ彼女である。
 対魔術師において、これほど高い牽制効果をもつ人材は少ない。

「なるほど、それ故の派遣か。
 よし、受けよう。此方としても、戦力は幾らあっても足りないのだからな。
 しかし、いいのか?
 この親書には、さらにお前の命を好きに使ってよい。死んでも已む無し。むしろ使い潰せ、と書かれているのだが……」

 該当部分をよく読み、大いに戸惑いながら、インテグラは親書をシエルにも見えるように裏返した。
 そこには確かに、そう書いてあった。羽ペンによる走り書きで。

「あ、あ、あ、あ、あの陰険サド機関長〜〜〜!
 少し此処で待ってて下さい、ヘルシング卿。
 ちょっとあの女の乗っている飛行機を、ドーバー海峡に沈めて来ますから!!」

 首を高速でグリンと廻し、真っ直ぐに海峡の方を睨みつけるシエル。
 両手こそ挙げたままだが、その様は今にも窓ガラスを突き破って飛び出しそうである。

「ああもう。黙れ、バカ!
 ともかく、貴様の話は本部でゆっくりと聞く。
 セラス、引き上げるぞ。その女を拘束してヘリに放り込め!」

「ええ!? あ、あたしがですかぁ!?」

「お前以外に誰がいるんだ、バカッ!
 命令だ、さっさとやれ!!」

「うぅ〜〜、オニ〜〜〜」

 セラスは涙目になりながら、渡された手錠でシエルの腕に嵌めた。
 なにせ、ほんの数分前まで命のやり取りを行い、あまつさえ殺されかけた相手である。
 彼女の中には、アンデルセン神父なみの恐怖としてシエルの姿が刻まれたのだ。

「そんなに恐がらないで下さい、セラスさん。これからよろしくお願いします」

「あ、あの……よろしくおねがいします」

 先程までの厳しい表情からは想像も出来ない柔らかい笑顔を向けられ、思わず頭を垂れるセラス。
 こういう所は、何も変わっていない彼女だった。

 

 かくして、物語の再演は幕を閉じた。
 その後、ヘルシング本部にてセラスとシエルが射撃の腕を競い合ったり、アーカードとネロ・カオスの類似点を話し合ったり、ヘルシング本部を訪れたナルバレックとインテグラが盛大に衝突したとばっちりを喰ったりするのだが、それはまた別の話である。

 

 


     …END